2010年9月27日月曜日

秋の夜長


 肌寒くなって来た。いきなりの秋である。ソファーで人間の様に仰向けで寝そべるホームズに、お腹が冷えないよう、そっとタオルケットを掛けてやった。
 今期も間もなく終わる。社業はまあまあの成績である。小さくても強い会社、と言うのが僕が描く理想型である。少しずつ近づいて来た。来季はいよいよ佐世保南部地区にモデル展示場を置き、同地域からさらに東彼杵3町へエリアを広げる。今期、女性スタッフ1名が2級建築士にチャレンジしており、12月には合格の朗報を得る事が出切るだろう。僕を含めて8人のメンバーの内6名が2級及び1級建築士となる。来年は残る2名も取得するだろう。
 一人一人、全員が接客しプランを作成し、提案して契約する。さらに現場を管理し、受発注し、原価を管理出来る、そんな会社でありたいと思っている。それぞれに完結出来るので、一箇所の事務所に全員が集まるのではなく、広範囲にそれぞれのエリアの展示場を拠点として、常に接客しながら業務を進める。共有すべき情報や資料はクラウドに置き、それぞれにネットからアクセス出来るようにする。そんなイメージを持っている。
 要するに、最小の人員、最小の費用で最大の成果を実現するにはどの様にすれば良いかの模索である。小さな会社の能力は経営者の能力そのものであると言われる。経営者の能力、「経営力」とは「実務力」、「財務理解力」、「経営戦略構築力」、「人材育成力」からなる。中でも人材育成と言うのが一番難しい。

 いろいろと 考えるべし 夜長なり
 温め酒 思案いろいろ 二三合

2010年9月22日水曜日

久々の韓国


 韓国は久し振りである。前に行ったのは、オリンピックやサッカーワールドカップの前である。おぼろげな記憶と比べてみて、街も何となく落ち着いた感じがする。クラクションの騒音が余りしない。そんな話をするとガイドさんも、そう言えばそうですね、との感想であった。オリンピックやサッカーワールドカップを通して世界に通用する街づくりが進められた成果であると言う。その後の経済発展によって自信を持った韓国の人は何処となく寛容になったような気がする。増して韓流ブームで、日本人が韓国に憧れ沢山の観光客が訪れていると言う事が日韓友好に大きく寄与しているようである。
 あいにく板門店の国境は北朝鮮の政情緊迫化により、軍事演習が行われると言う事で、観光できなかった。世界遺産を巡る観光となったが、行く先々、どこも暑い。韓国も異常気象で今年は特に雨が多かったそうである。プルコギもカルビ もサンチェと言うはっぱに巻いて食べるのだが、それが普段の何倍もの値段になっているそうである。そんなサンチェを何回かお代りをすると、不機嫌そうな雰囲気が伝わってきた。
 地理的にも東京よりは近く、あまり「外国」を感じない。それでも日本が一番いいな、そんなことをつくづくと感じるのは年をとったと言うことなのだろう。いかんいかん、もっと自分自身に刺激を与え続けなければ、ドメスティックに安住していてはいかん・・・

2010年9月9日木曜日

男おいどん

 「男おいどん」と言う漫画があった。40年ほど前か。少年マガジンに掲載されていた。松本零士の作品で「銀河鉄道999」の鉄郎によく似た主人公が、薄汚いアパートの一室で、悶々とした生活を送っている。

 極貧生活で、いつもパンツ一枚。押入れを開けると「サルマタ」と呼ばれるデカパンが洗濯され再利用されるではなく、汚れたらその押入れにストックされていく。梅雨時期にはそのサルマタにサルマタケと言うキノコが生え、極貧がゆえにそれは食料として利用されることとなる。

 衛生状態が極めて悪く、主人公は「インキンタムシ」に侵され、いつも股間をかきむしっていた。天気の良い日には大股開きで股間を日光消毒していた。

 愛犬ホームズはソファーで大股開きでくつろいでいた。吹き抜けの窓から日光が降り注いでいた。その光景に、ふと、男おいどんの漫画を思い出した。漫画的なタッチのやさしい絵に対して、内容がイマイチ、小学生の僕には難しかったような記憶がよみがえってきた。ただ、それだけの話である・・・。
 来週は商工会議所の議員研修と言うことでソウルに行く。是非ともと板門店の国境を見学コースに入れてもらった。同じメンバーのS酒造ヨシオちゃん社長はなんとドタキャンであるらしい。何でも尿管に石が詰まっているということである。お坊ちゃま特有の性格で意思は極めて弱い。人はそれを、鉄の意志に対しずないし(砂石)と呼び、ぶれる、妥協する、くじける・・・。意思は砂石で脆いのだが、身中の石はさざれ石のごとくたくましく成長しているらしい。鈴木宗男は「疑惑の総合商社」と言われたが彼は「成人病のコンビニ」で、一通り何でも揃っている。
 要するに結石で欠席と言う話である。ととのいましたでしょうか・・・。

2010年9月1日水曜日

ほぼ80台

 ここ5回ほど、80台で回れるようになった。ゴルフの話である。別にシングルを目指している訳ではないが、かと言って、いつまで経っても90台がやっとと言うのもかっこ悪い。ゴルフが下手だと運動神経が悪いだけではなく、頭まで悪く言われる。年齢のせいにもできない。プレイが終われば必ず反省会になる。年をとって体力が落ち飛距離が出なくなるのは仕方がないが、その分経験が増え、技術が向上し、年齢に合ったクレバーなゴルフと言うものもある、などと講釈を垂れられる。さらに、だいたいスイングの基本がなていないと技術指導までされ、ただただご拝聴するしかない。指導する側は、別段優しかったり、価値ある技術や優れた指導力がある訳では決してない。これはゴルフのプレイが終わった後の、勝者と敗者を始めとした序列が形成された後の、その厳然とした現実を敗者に解らしめ、勝者をしばしの優越感にしたらせる為の儀式である。モンゴル相撲で勝敗が決し、勝者が敗者の周りを鷹が翼を広げ遊弋するような感じに似ている。そんな時、これまでの僕は、せっかくゴルフを楽しんだ後ですから、ゴルフの話ばかりではなく、仕事などの四方山話などの情報交換でもしましょうよ、などとうそぶいていた。ところが今は、ゴルフを一緒に楽しむメンバーが少しでも上手になってもらうために、せっかくの機会だからと、ゴルフの心構えやスイングの基本などを指導するのに忙しい。もちろん聞くものはつらそうである。良心的に相槌を打つものも決して聞き入り、納得している、興味を持っている、ではなさそうである。プレイスタイル、血液型、いろいろな分類はあっても、ゴルファーは基本的に強情である。

 好調の第一はドライバー、アイアンのスイングがスムーズかつ安定したこと。ゴルフのスイングはこうしなければならないと無理に窮屈に体をひねったり回したりするのではなく、子供の頃、ソフトボールなどでごく自然にバットを振っていた様に、スムーズにクラブを振り回す、振り切る、そのポイントと角度を掴んだことによる。気付いて見れば難しいことではなく自然な事、であった。左肩がぐっと入り、スムーズに体が回る。遠心力で構えた位置からポイントがずれない様にシッカリと脇を締める。左足をどうするとか、右に体が動かない様にするとか、トップでのクラブの位置、角度、その後の軌道、そうした難しいことは考えない。ただ、スムーズにシッカリとスイングができるという事だけに帰結させる。

 パターも調子が良い。先ずは強くシッカリと打つと言うこと。打ち出し方向と体の方向が平行なっているか、パターはスクゥェアになっているか、パターをまっすぐに引いてまっすぐに打ち出せるか、それなりの工夫と感性、それらによって掴んだ技といいのもある。ピンまでを歩測し、打ち幅と歩幅を合わせる。要するに経験値を蓄積させるメカニズムである。ゴルフはいかに工夫できるか、の問題でである。となれば経験値が蓄積されるように工夫しなければならない。我流で80から85でまわるゴルフを習得するのが僕の目標である。