2010年10月30日土曜日

ああ玉杯に・・・


 恒例の東京六大学OB懇親会が開催された。校歌を歌いエールを交換し、楽しい青春の一時であった。各大学、40代から50代前半が「若い世代」であり、年々高齢化している様に思う。若い世代を入れなければと言うのが各校共通の課題である。かつては地方の地域に根ざした名門企業があった。建設業のみならず、ホテルやタクシー、自動車、運送、印刷、色々な業種にそれなりの会社があり、商工会議所や青年会議所などに人材を送り、地方経済を支えて来た。六大学の卒業生は国の根幹を支える人材を送るとともに、地方のこうした企業にも人材を送って来た。今、地方のそんな企業が倒産廃業を余儀なくされ、結果、六大学OB会がどんどん高齢化してしまう。その卒業生が、田舎に帰らなくなったのである。地方にはそれなりの職や引き継ぐべき家業が無いのである。
  ちょっとダンディーなじいさんがいて、妙に頭の切れるオヤジがいて、カッコいい先輩がいる。聞けば早稲田のOBであったりする。今にして思えば、地方の厚みであったのだろう。さらに昔、「野菊の墓」の小説の頃には農村にさらに重厚な文化の礎があったのだろう。
  来年は統一地方選である。市会議員に出る所謂若手は日頃どんな仕事をしているのだろうか。県議会議員は一頃は建設業者で占められていたが、今や県の許認可の福祉事業かもしくはや労働組合、二世議員の家業の様相である。
 昔、「ああ玉杯に花受けて」と言う旧制高校の寮歌があった。
1. 嗚呼玉杯に花うけて 緑酒に月の影やどし治安の夢に耽りたる 栄華の巷低く見て向ヶ丘にそゝりたつ 五寮の健児意気高し
2. 芙蓉の雪の精をとり 芳野の花の華を奪ひ清き心の益良雄が 剣と筆とをとり持ちて一たび起たば何事か 人生の偉業成らざらん
3. 濁れる海に漂へる 我國民を救はんと逆巻く浪をかきわけて 自治の大船勇ましく尚武の風を帆にはらみ 船出せしより十二年
4. 花咲き花はうつろひて 露おき露のひるがごと星霜移り人は去り 梶とる舟師は変るとも我のる船は常へに 理想の自治に進むなり
5. 行途を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある破邪の剣を抜き持ちて 舳に立ちて我よべば魑魅魍魎も影ひそめ 金波銀波の海静か

2010年10月20日水曜日

受験モード

秋風が、ぐっと身を引き締める。次第に年も押し迫り、受験へのカウントダウンの音は大きくなってきた。受験モード突入である。
高校3年の息子、かつては東京の方には行きたくないと言っていた。地方国立大学志向である。通っている高校もどちらかと言うと国公立大学への進学を良しとする傾向があるように思う。僕の頃もそうであった。ただ僕は高校生になった時のカルチャーショックからなかなか抜け出す事だで来ず、成績は常にアンカーから10番以内にいた。で、最初から国公立の模範的範疇には入ることがなかった。
 高校2年の時、あの名門ラサール高校から転校生が来た。当時彼の父親は佐世保市内に何軒かの映画館を経営していた。この「興行」的な分野は、いろいろな分野に「顔が効く」商売の様であり、その転校生、彼もやはり模範的な優等生ではなく、その対極に位置する存在であった。勉強は当然良くできた。しかもあまり勉強をしている風ではない。そんな彼と付き合う内に、僕も勉強が出来る様になって行った。一緒に勉強するなんて事はもちろん無い。なんせ彼は不良である。当時トゥデイと言う喫茶店があり、ミュージシャン系不良の巣窟となっていたのだが、そこにただ、なす事も無くもんもんとしながらたむろしていた。彼とは今も付き合いであるが、大学を経てソニーミュージックに勤めたのであるから、彼は不良では無く、ミュージシャンなのである。不良っぽく見えるミュージシャンなのである。
不思議なものでちょっとしたきっかけで成績は良くも悪くもなる。ただ受験への遅れはいかんともし難く、僕は国立5科目受験を捨て、私立3科目受験に活路を求める事とした。もちろん東京志向、「男は花の都大東京ばい」、とにかく東京の大学にいかねばならぬ、そんな感じであった。
そんなこんなの自分の人生を振り返ると、東京志向と言うのは「人生の気概」である様な気がする。地方国立大学も優秀でいいのではあるが、東京の有名難関校にチャレンジする、その気概だけでも見せてくれたらと思っていた。それが近頃、息子は、そんな事を言い始めた。またその難関突破のためにその攻略ポイントである「英語」の塾に通うと言うのである。
高校では夜の7時まで、自習室で勉強がなされている。その後の城山町の塾に行って英語のカリスマ教師のDVD学習を10時までする。僕は普段は酒を飲んで寝ている時間ではあるが、そんな息子の気概が嬉しくて、迎えに行く事にした。息子との帰りの車内での会話もまた楽しい・・・

2010年10月10日日曜日

スマートフォン

一般的にスマートフォンを持っている人は別に携帯電話も持っている。2台持ちが主流である。シャープのザウルスを携帯情報端末として使用していたのだが、ネットの利用がここまで高まると、ザウルスでは対応できなくなり次第に使わなくなった。スマートフォンが良いな、とは思っていたのだが、「2台持ち」は僕の趣味ではない。いろいろと検討しiPod touchを携帯情報端末として購入した。非常に使い勝手が良い。そんな話をすると、「良いね、これ」と言う事で4人が購入した。
auからスマートフォンが発売される。スマートフォンに日本ならではの携帯電話の機能も加えられ「2台持ち」の必要がないようである。あとは使い勝手とアプリの充実度である。これが十分使い物になれば、携帯電話とiPod touch、両方を持つ必要がなくなる。

業務連絡:AuショップY本社長、新しいスマートフォンが来たら、モニター価格でください。携帯情報端末評論家および広告塔の僕が使って、良かったら必ず売れます。
  
  と言うのもこのY本社長、この手の端末に暗い。結果、端末の優れた機能を使いきれず、徹底的に使い倒さなければ気が済まない僕が使ってそのよさを周りに広げた方が、商売繁盛に繋がる。「出たら僕もシャープのスマートフォンにしようと思うんです」とY本社長は言うのであるが、簡単携帯の広告塔になった方が良さそうである。

2010年10月9日土曜日

遅ればせながら・・・

 ツィッターをやってみようかとチャレンジしているが、なかなか難しい。あまりピンとこない。