2010年10月20日水曜日

受験モード

秋風が、ぐっと身を引き締める。次第に年も押し迫り、受験へのカウントダウンの音は大きくなってきた。受験モード突入である。
高校3年の息子、かつては東京の方には行きたくないと言っていた。地方国立大学志向である。通っている高校もどちらかと言うと国公立大学への進学を良しとする傾向があるように思う。僕の頃もそうであった。ただ僕は高校生になった時のカルチャーショックからなかなか抜け出す事だで来ず、成績は常にアンカーから10番以内にいた。で、最初から国公立の模範的範疇には入ることがなかった。
 高校2年の時、あの名門ラサール高校から転校生が来た。当時彼の父親は佐世保市内に何軒かの映画館を経営していた。この「興行」的な分野は、いろいろな分野に「顔が効く」商売の様であり、その転校生、彼もやはり模範的な優等生ではなく、その対極に位置する存在であった。勉強は当然良くできた。しかもあまり勉強をしている風ではない。そんな彼と付き合う内に、僕も勉強が出来る様になって行った。一緒に勉強するなんて事はもちろん無い。なんせ彼は不良である。当時トゥデイと言う喫茶店があり、ミュージシャン系不良の巣窟となっていたのだが、そこにただ、なす事も無くもんもんとしながらたむろしていた。彼とは今も付き合いであるが、大学を経てソニーミュージックに勤めたのであるから、彼は不良では無く、ミュージシャンなのである。不良っぽく見えるミュージシャンなのである。
不思議なものでちょっとしたきっかけで成績は良くも悪くもなる。ただ受験への遅れはいかんともし難く、僕は国立5科目受験を捨て、私立3科目受験に活路を求める事とした。もちろん東京志向、「男は花の都大東京ばい」、とにかく東京の大学にいかねばならぬ、そんな感じであった。
そんなこんなの自分の人生を振り返ると、東京志向と言うのは「人生の気概」である様な気がする。地方国立大学も優秀でいいのではあるが、東京の有名難関校にチャレンジする、その気概だけでも見せてくれたらと思っていた。それが近頃、息子は、そんな事を言い始めた。またその難関突破のためにその攻略ポイントである「英語」の塾に通うと言うのである。
高校では夜の7時まで、自習室で勉強がなされている。その後の城山町の塾に行って英語のカリスマ教師のDVD学習を10時までする。僕は普段は酒を飲んで寝ている時間ではあるが、そんな息子の気概が嬉しくて、迎えに行く事にした。息子との帰りの車内での会話もまた楽しい・・・

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