2012年6月4日月曜日

日々新た・・・


つつじは綺麗だけども花が萎れて、しがみついて、なんとなく哀れである。子供が係る高総体も負けてしまい、日曜まで予定していた応援送迎がなくなり忙中の閑を得た。萎れた花もろとも、つつじを一気に刈り込んだ。そうだ、つつじは、花が終わったら一気に刈り込む、それが好い。実に綺麗になった。
 
 特別庭造りに、拘りはない。枝ぶりを鑑賞するような、要するに審美眼がないのである。しかし、方針はある。適度に手はかける。基本、自分でする。木は何でも植栽する。雑木林、が理想形。伸びすぎてうっとおしくなれば枝ぶりやバランスなど考えずに、適当にあっさりと切る。ツルが絡むのは嫌だ。気掛けて退治する。芝生の雑草は気にしない。しかしできるだけ刈る。刈れば雑草も目立たないし、雑草の種が早めに駆除される。槇の垣根の一部を刈り、畑への出入り口となっている。芝生、雑木林、畑が、すべて庭、である。

 夏野菜は、雑草との戦い。その勝利の方程式を見つけた。まずは抜きやすい時に、一度抜く。しかしそれでも雨が何日か続き、日を置いて畑を見てみると雑草に覆われている。作物の周りは一度除草しているのでさほどでも無いのだが、畝と畝の間の雑草が、膝ぐらいまで伸びている。これが畑から足が遠のき全滅の端緒となる。そこで昨日、初めてぶんぶん丸の草刈り機(歯ではなく紐をブンブンと高速回転させて草を叩き折る感じ)を使ってその草を刈ってみた。畑の雰囲気が一気に変わった。

 コーンは種を3、4粒ずつ撒いていく。成長する途中で元気のいいのを残し、他は間引きする、と言うのがマニュアルである。しかしこれでは間引きするときに地盤が弱くなり、残されたものが不安定になる。いっそ育つものは間引きせずに一緒に育てる。むしろ風に強くたくましく育つ。

 枝打ちの木は畑で燃やす。灰が石灰の代わりの土壌改良剤である。自家消費が基本であるから農薬は使わない。できるだけ循環型農業である。

 芝生もやめようかと思った。木も驚くほどに伸び、切り倒そうかとも考えた。夏野菜は無理、と敗北宣言をした。それでも体力が回復するとコザコザと仕事をする。新しい工夫と発見がある。毎日毎日、毎年毎年、同じことをしているようだが。ハーレーを磨いてドライブをした。上りカーブはコーナーリングが気持ちいいが、下りカーブは怖い、がそれでいい。だからハーレーなのである。時に軽自動車に煽られ、原付としのぎを削る。「エンジャクイズクンゾコウコクノココロザシヲシランヤ・・・」。明日は法人会のゴルフコンペがある。ゴルフも中年ゴルフを再構築しなければならない。

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