2012年7月11日水曜日

1Q84読了&その次

約1週間での読了となった。さすが村上春樹、とても面白い小説である。ある宴席でこの本が話題となり(たぶん僕がこの話題に巻きこんだのだと思うが)、当時読んだのだが、難しいというか分かりにくいというか、との感想をある人が言った。流行の、話題の真っ最中に高価(文庫本の2倍以上の価格になる)なハードカバーで読めば、何となくそうなるような気がする。「半歩遅れの読書術」なる書評がとある新聞には掲載されているが、この手の小説は、文庫本が出て、それを携帯し、自分なりのリズムで読むのが、やはり良いようだ。
 現実の世界、例えば1984年を生きていて、同時進行する別の世界1Q84に入り込む。この別世界は、それまで生きてきて経験した現実の体験から生まれたものであり、日々経験や体験は積み上げられたり上書きされたりして、仮想や幻想のようでありしかし、全く根も葉もないことではない。俺は子供の頃、勉強も一番、喧嘩も一番、走っても一番やった、なんて言う人がときどきいる。周りの評価や現実がどうであれ、もしかしたら試験で一度くらいはものすごい達成感で上位に入った事、喧嘩で下部リーグの戦いで山崎邦正の様なヘタレに勝った事、運動会で鐘がなったら逆走すると言うルールの駆けっこで運命の鐘で逆走しダントツの一位になった事、があったかもしれない。面白くない事は時間とともに忘却の彼方へ、そして残った事は経験に裏打ちされた真実として、脳の大きな部分に鎮座する。現実の人生と言う世界と、現実を脳が若干加工して出来ている自分がヒーローの世界、仮想なのか幻想なのか、しかし事実なのである。
 酒を飲むと現実とそんな世界が交錯する。以前ブログアップした「世評・・・考」のようにフラッシュバックした思い出があまりにも鮮明で具体的で、それはひょっとしたら脳がノスタルジーを求めて作りだしたフェイクなのか、現実にあった事なのか、自分でも分からなくなったりする。その頃を時代考証したり整理したりしてみると、現実の出来事である。いつでもどこでもモテモテで、俺の人生最大のモテ期が今かよ、しかし考えてみたらおれが持てないはずは無い、家庭を取るか、女を取るか、悩んで、深く悩んで、悩みが極限に達し、何かがおかしいのに気づく、これは夢である。子供の頃隣のみのるちゃんと遊んでいて、田んぼの畦から水路に立ちションをする。みのるちゃんをすぐに終わって他の遊びの輪に合流する、僕も早く立ちションを終え遊びに戻りたいのだがなかなか終わらない、遊び終わってみんな帰り始めても終わらない、困りが極限に達し、ちょっと待て、そりゃなかろ、と気づいた瞬間夢の立ちションは現実のオネショに代わる。あまりにもリアルな夢、夢のような現実、夢であってほしい現実、現実であってほしい夢、交差しながら進行し、同時進行する別の世界はあまりにもリアルである。最終的には「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」のようにすべては夢なのかもしれない。
 1Q84の世界に入ると、月が2つ現れる。僕もそう言うときがある。酔っ払いである。みんなリアル人生の他にそれぞれの1Q84を持っている。友人のY下Y生君は1Q84的世界に入りその喜びを極秘に独占しようとする時、話し声が小さくなって、眼が三角になる、目がヒラクチの頭になる。またヤアモト君は気分がすぐれない時何かの錠剤を服用しているらしく、それを飲んでさらにレオピンと言う強壮剤を飲んだら、合わせ技一本で1Q84的世界に突入しその支配者になって君臨する。とまあ、1Q84をそう難しく読まず、この程度に読了した次第である。
 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか」と言う本が出ている。ハードカバーで分厚い、筋トレができそうなくらい。これが文庫本になるのを待っている。何と先に漫画になりそうな話もある。

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