2012年11月26日月曜日

冬麗の畑 あと100本と 背を伸ばし

  子供が、あの頃の自分の年頃になった。どう言う人生を歩むのだろうか。この年になると、ある程度人生を俯瞰する事が出来る。こうすればこうなるだろう、ああすればああなるだろう。古人はそれを「因果応報」と言う。子供には生き抜く力を、これからの経験で培ってほしいと思うばかりである。
 確かに僕は、あの頃に形作られたような気がする。意地とか夢とか、体の中のもやもやとしたものが、少しずつ出てくる。先輩や後輩を含めた友人関係、先生、本、そうした人間関係の孵化機に育てられた。
 大学の弁論部時代の友人たちと再会した。輸入住宅の総会が仙台であり、その折の上京を機に、僕の都合で恐縮に思いつつも、田舎者(交通弱者)を労わるつもりで、僕に日程を合わせて下さいと呼びかけた。7人が集まった。割と交流しているメンバーもいれば30年ぶりの再会もあった。なかなかそれぞれにおもしろい人生である。
 それぞれに、想いはそれぞれだろうけど、決して郷愁だけではないだろう。この場は孵化機なのである。エネルギーを顕在化させる、一つのシステムなのである。
 旅行ではないので、仕事なので、移動は格安でなければならない。福岡・羽田の航空券、東京・仙台の新幹線、それぞれに往復ホテル代込みで2万円台、トータルでも5万円程度の交通費、近いのである。これまでの経験や交友を経営資源に、何かをしたいともやっと、考えている。
 あわただしい出張から帰り、日曜日は野良仕事、玉ねぎを600本植えた。腰が痛い。早朝は霜がひどかったが、日差しが心地よく麗らか、冬麗(とうれい)と言う季語を思った。
 冬麗の畑 あと100本と 背を伸ばし

2012年11月2日金曜日

頑張って 子等に語る 居待月

 朝、7時過ぎ、家を出る時、西の空にやや満月を過ぎた月が、明るい空に浮かんでいた。スマホに「月読君」と言うアプリがあって、さっそくそれを見てみた。11月2日の月、満月に対しての比率が90.8%、寝待月と呼ばれる。月の出が19:26、月の入りが9:54、で、ふとここで気付く。今朝の月は今日の月ではなく、昨日11月1日の月、である。月の出は18:39、月の入りが今朝の9:06、この月は居待月と呼ばれる。この前日の月は立待月、17:56の出、である。立待月から居待月、寝待月、さらに更待月となる。何ともロマンティックなネーミングである。実に美しい。
 暦は今日から五十四候楓蔦黄(もみじつたきばむ)が七日頃まで。そして二十四節気霜降(そうこう)は立冬(りっとう)となる。ここ数日寒い日が続く。もうすぐ立冬と聞けば、さらに寒くなる、えっ、もうそんなに寒くなると、と衣替えの準備の遅れに気づかされる。
 長男長女、受験追い込みにも力が入ってきた。決められた日限に決められた事をクリアして行く、人生はその繰り返しの様である。ここで受験を経験する事はその習慣の基礎を作る事に意味があるらしい。結果によらず、ここで努力しないと、永遠に、決められた日限に一定以上の成果を上げきれない人間になるそうである。子供が学校から持ち帰ったプリントに、先生が書いていた。何となく、分かる、そう思う。
 朝、玄関を出て、車に乗り込む子供。ふと顔を上げ、「あ、月」、と言う余裕もない。むしろ朝の居待月が、行ってらっしゃい、頑張れよ、と語りかけているような気がした。